personal notes about 3.11

16 March 2011

11日14:46頃発生した、マグニチュード9.0を記録した大地震。
その最中、自分は電車に乗っていた。駅で停車していたのが不幸中の幸いだった。
震度5強の地震の中、電車は横転したりすることはなく、ただ異常に揺れるだけだった。

以下は当日中に手帳に書いたメモである。(一部改変)
備忘録的にブログにも記しておこうと思う。

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15時頃東伏見停車中、異常な縦揺れを感じる。余震も結構強い。当にquake。
1時間程車内で待機。後、構内から出るように指示される。
駅のトイレは水が汚濁しており、手が洗えない状態だった。
駅を出たら松屋で取り敢えず昼食。券売機が壊れていたのでカウンターで注文。
店内は自分と同じ境遇の人々や、逆に電車に乗ろうとしていた人々で一杯。
長居するのもあれなので、食事を終えたらすぐ立ち退く。

電車の復旧まで暫く時間がかかりそうだったので、カフェで一息つこうと思うも
駅周辺には見当たらず、マックも満員。より大きな駅の周りにはあるだろう、と、
歩くことを決める。

上石神井まで2駅歩いた。古本屋の本が大変なことになっていたり、スーパーの
周辺がアルコール臭かったりしたが、倒壊や目立った家屋の損傷はなく、 改め
 て日本の地震に対する強さを感じた。
上石神井は高校の3年間お世話になった駅だが、やはり駅周りには電車の再開
を待つ人々で溢れていた。よく通ったマックで暖を取ろう、と考えたが、やはり満員。
そもそもバイトに向かう、と言う目的で新宿線に乗っていたのだが、この頃バイト
中止という連絡がきたため、バイト後の目的地である春日へと向かうことにした。
 上石神井から、別路線の石神井公園駅に向かう途中、母校を見たが、卒業後
に竣工した新しい校舎はなんの問題もなさそうだった。
(後で聞いた話だが、旧校舎は一部破損したらしい)

石神井公園駅に着く頃には日が暮れていた。18時頃だったろうか。
やはり池袋線も機能していなかった。部活帰りと思われる制服の学生たち、
苛立ちを露にする高齢者の方々。タクシー乗り場にはざっと100人は居そうな
長蛇の列。仕方なく近場のドトールで時間をつぶすことにした。
ドトールは自分と同じ境遇であろう人々で混雑していた。本を読みつつ、携帯で
情報を入手しつつ(なかなか繋がらない!)、20時。
いい加減痺れを切らし、再び駅へ戻るも、まだ電車は復旧していない。
これまでこのような大地震に見舞われることがなかったので、電車も数時間で復旧
するだろう、と高を括っていたが、間違っていた。
その頃丁度駅員と思わしき人々が、帰れなくなってしまった人々を説得しつつ、
避難場所へと案内しだした。それには乗じず、交番で池袋への道のりを聞く自分。
たかが15kmだ。歩いていこう。

コンビニで携帯用電池式充電器、電池、チョコを買い、池袋へと歩き出す。
ひたすら歩いた。道中、すれ違う人がやたら多かった。自分と同じ方向へと
向かっている人は少なかった。別に気にならなかった。
それより、交番で教えてもらった道は、高校時代に所属していた競走部でよく走った
ジョギングのコースだった。懐かしさを覚えつつ、道を急いだ。

結局池袋に到着したのは0時前だった。ラジオを聴きながら歩いていたので、
メトロを始めぼちぼち路線が回復している情報を得ていたので池袋駅構内へ行って
みたが、座り込んでいる人、人、人の壮絶な光景だった。
ターミナル駅故に人の数が違う。目当ての丸の内線の復旧は望めなさそうだったので、
ひとまず夕食を取ることにした。
夕食、と言ってもこの時間帯に開いている店は限られているし、マックも松屋も、
見かけた店舗は全て閉まっていた。少し歩いて漸く開いているすきやを発見。
腹ごしらえをする。レジには常に10名程度の列が出来ていた。先頭のおばさんが
握っていた災害用飲料水、だったか、の缶が印象的だった。

この時間には池袋線も動いていて、実際のところ、家に帰れたのだが、約束があった
ので(と言うのは建前で、元競走部の闘争心が芽生え、もう少し歩いてやろう、と思った)、
春日まで歩いて行くことにした。やっぱりまた10キロ近くあったのだろうか。
途中何度か道を間違え、何度か交番で道を聞いた。深夜なのに明るく応答してくれた
巡査に頭が上がらない。

春日は東京ドーム直近の駅だが、東京ドームは避難拠点になっていないのだろうか、
人気があまりなかった。
代わりに、文京区シビックホールの周辺には大層な行列が出来ていた。
皆そこで一夜を明かしたのだろう。
小学校の前にも多くのダンボールが積み重なっていた。
かなり多くの人がこの辺りで帰る術を失ったようだ。

結局、目的地である友人宅に到着したのは2時前だった。既に3人が避難していた。
交通以外で特に実害を受けなかった地域 だったので、自分を含めあまり緊張感は
なかった。次の日に行ったスーパーでは、早くも食料が全滅しかけていた。

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地震当日の出来事をただ書き連ねただけであり、特に意味はない。
先にも述べたように、一種の備忘録だ。
地震が起こった当初は情報もなく、また震度5強程度で済んだ地域にいたので気が
浮ついていたが、しかし情報が入るに連れ被害の深刻さが伝わって来て、言葉を失う
のみである。
現に、震源からこれだけ離れた地域でも、ここ二日、輪番停電に翻弄されたし、
埼玉の辺境に住んでいるため、電車も運行の範囲外。物資も満足に手に入らない。
不便な生活を強いられている。
ここでこれなのだから、より震源に近い被災地、そして津波の被害を受けた地域、は
地獄のような状況なのだろう。

一個人の力は余りにも弱い。
ただ一人でも多くの被災者が救われ、一刻も早くこの国があるべき状況に復帰することを
願うのみである。

:(

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p.s.
先日も記事に書いたYoYoZeeのThe One Minute Freestyle Contest だが、「2位」に
終わった。まあこんなものだろう。来年もあるようなので、今度こそは1位を目指したい。

結果は ここ や ここ に記載されている。
ここ では、上位10作品がまとめられている。

しかし1位のPeterの速さは異常だ・・・どうやったらあんなスピード出せるんだろうか

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p.p.s.
ふと思い出した。宇崎竜童「生きてるうちが花なんだぜ」

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