地区3大会を終えて

08 February 2012

12月頭にEJ-A、先月末にCJ、そして先週末にEJ-Bと、2012年度地区大会も3大会が終了しました。

普段ならEJのどちらかに出場している私ですが、本年度は学業で多忙の為出場を断念、その代わり4月下旬のWJへの出場を予定しています。

本年度大会よりフリースタイル競技において新たなルールが採用されています。そのルールと、先述の終了した3大会を絡めて、悶々と考えているものを幾分か吐露しようと思います。

新ルールの新審査項目については城戸氏のブログにて明快に述べられています。参照されたし。
http://yoyonews.jp/sk/?p=536

新ルールは随所で述べられている通り、よりパフォーマンスを意識せよ、との解釈で間違いないと思います。そのようなルールを掲げるJYYFと、私のビジョンにそう差異は無いように思っています。
「大会はあくまで技術を競うものであり、パフォーマンスなんて必要ない。」
そう思ったことは一度もありません。いささか音楽を意識し、技を並べるだけなら音楽はいらないかも知れない。パフォーマンスを意識しヨーヨーが疎かになるのなら、本末転倒。フリースタイルと言う競技スタイルを取っている以上、技術とパフォーマンス双方のバランス(上位においてはどちらも高い水準を維持しつつ)が考慮されるのは至極当然のように思います。

技術を磨く。ヨーヨーはその色が強い分、技術のみを競いたい、と言う考えもよくわかります。技術点が突出しているのになぜ○○が優勝じゃないんだ!と言う考えもよくわかります。●●の技はめちゃくちゃすごいのに、技術点に表れていない、ジャッジはわかってない!というのもわかりますし、大会の度に思ったりもします。
しかし頭を冷やし、それが何故かを熟考すると、ほとんどの場合何かが足りていない。その「足りていない部分」を今回の新ルールは浮き彫りにしてくれていると考えます。

技術は観衆に伝えなくてはいけません。ステージに立ち演技する以上、観衆とは、ジャッジ・ヨーヨー経験者・ヨーヨー非経験者全てを含んでいます。どんなにすごい技を決めても、その観衆に伝わらなければ自己(或いは内輪間)満足に終わってしまう。そういう意味で、技術評価点は、技術を観衆に伝えられているか・伝える気があるか、の指標であると考えられます。

ヨーヨーは精密な身体の動作が要求されるため、パフォーマンスを取り入れると、現状多くの場合ミスが増えるか、或いはミスを補うため技の水準を下げると言うのが通例のように感じています。しかしミスしたり、技の水準を下げたら、意味が無い。良い演技というものは高レベルの技とパフォーマンス、どちらも欠けていてはならないと考えるからです。その所謂パフォーマンスを評価するのが表現評価点だ、と。

あれ、技術評価点・表現評価点について述べるつもりは無かったのについ述べてしまいました。以降双方を併せて「パフォーマンス」と呼称します。

私に限って言えば、自分の今までのどの演技も、技術に甘えたそれはぬるい演技でした。ある程度の評価をいただいたこともありましたが、自信を持って人に見せられる演技は皆無。何故ならパフォーマンスが不在だからです。何も伝えられていない。
私は一定の技術を持っているかもしれませんが、パフォーマンスについては弩がつく素人です。大会シーズンになる度に技術とパフォーマンスの間のギャップに頭を抱えています。常々演技にパフォーマンスを介在させようと試みていますが、そもそも構成を作る:技を選出する段階ですら準備不足で、結局ふざけた演技に終わることがほとんどです。非常に不甲斐ない。

パフォーマンスを取り入れたら技が決まらない、技の難易度を上げたらパフォーマンスできない、は甘え。これは自分への戒め。十分に構成を作る時間と、練習の時間を取れば、技術とパフォーマンスの介在は可能なはず。

ここまでを要約すると、
「甘えるな!フリースタイルを舐めるな!技術の水準を高レベルで維持・向上しつつ(ここ重要)パフォーマンスも同じ位磨け、術はある!(自分へ向けて)」

本年度はルール変更を機に、自分の演技を再考し、再構築しようと考えています。
地区大会は最も開催時期の遅いWJ参加(予定)としたのも、準備期間を設けたかったから。(もう遅い位ですが)
2ヶ月半後、自分が今までのような甘えた下らない演技をしていませんように。

:)

p.s.
少し新ルールについて苦言を呈するとしたら、12月開催のEJに対し公表時期が遅すぎたこと。EJ-A出場者は十分な準備期間を設けられなかったのでは。

もう一つ、こちらは半分疑問なのですが、技術評価点におけるバリエーションについて。単純に考えると、バリエーションとは、1Aにおいてはサイドスロー、フロントスロー、ウイップ系、ホップ系、チョップスティック系、ホリゾンタル系、体まわり系(正式名称不明)・・・等、技の「大きな枠」からどれだけの種類を構成に盛り込んでいるかを評価しているのではないかと推測しており、実際そうなのではないかと思っているのですが、得意・不得意は置いておいて演技の流れ的に余りに多くの要素を盛り込むと逆に煩雑になり雰囲気・伝えたいことが見え辛くなる場面もあるのではないでしょうか。もし同じ「大きな枠」の技の中で細分化された要素もバリエーションとして正当に評価されているなら良いのですが、あまりそうとも思えませんし、それは不可能に近いとも思います。すると、あるテーマに沿った素晴らしいパフォーマンス・技術による構成を完遂したのに、バリエーションが評価されない、と言った、パフォーマンスを意識したためパフォーマンスの一部が評価されなかったと言う場面が出てくるのでは。技術評価点・表現評価点の全項目を高得点で満たした演技が理想とされるなら、そこにルールの矛盾を感じます。思い違いならいいのですが、如何に。

※徹夜明けの惰性でつらつらと書いたため語弊があるかも知れません。随時編集・修正します。

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