proce..ss?

13 February 2011

よく、過程が大事だ、という言葉を目にしたり、耳にする。
結果よりも過程、という言葉もあるくらいだ。

では過程とは何なのだろうか?と考えることがしばしばある
現状、自分の中では「過程」は存在しない。
結果は結果の積み重ねだと思うからだ。
特に、現代の日本のような環境下では。

無論、目に見える部分での話であり、目に見えない部分では
所謂「過程」も存在するのかも知れないが、しかし最近殊に「結果」の
重要性を感じる。

去年成人式を迎えた。定義上、成人した、つまり大人になった。
しかしその実感は無かった。
酒が飲めるようになったり、煙草が吸えるようになったが、
それも大人になったという実感を与えるファクターとしては
弱かった。

しかし最近、大人になる、と言うことを実感している。
精神的に、とかそういう「目に見えない」話は置いておいて。

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つまり、「やり直しが効かな」くなってきている。
目に見える部分は、無論目に見えない部分よりも体感しやすい。
故に、目に見える部分=結果は 、目に見えない過程よりも
遥かに存在感があり、そしてこの世界の常識の大部分を成立させている。

今日、2月13日は、日本最大の冒険家、 植村直己さんの命日だという
彼の知人のインタビューのようなものをどこかで拝読したが、

「エベレスト登頂まであと300mという所に差し掛かり、天候が急変。
危険と判断し 、引き返した。その判断は正しく、五体満足で帰還
できた。当人は頂上まであと少しの所で引き返す決心をした勇気を称え、
冒険は成功だったと思ったが、世間の認識は「登頂失敗」に尽きた。」

こんな内容の部分があった。そんなものだ。誰もが結果ばかり気にする。

もし人々が目に見えない部分を重要としないなら、というか既に酷い扱い
なのだが、結果こそが重要なのだという考えに行き着く。

そうなのだと思う。

しかし結果はただ結果としてあるわけではない。
結果を微分していくと、そこに無数の「結果」の存在を感じる。

ある判断の結果、こういう行動に出て、結果、こうなった。
毎日○○を続けるという判断をし、それを実行した結果、××となった。
もっと細かく言うと
○月○日×時×分△秒××・・・に△△をした結果、◎◎となり、よって□□となって、
それから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

きりがないが、しかし所謂結果を「最終結果」とすると(上の理論上、ありえないが)、
その最終結果は無数の結果の積層により成っていると考えられる。
となると、今この文を打っている、この時間も、なんらかの結果に結びついている
ことになる。

人間の境遇は様々だが、時間は平等に与えられている。
その平等で均質な時間の中で、如何に(一般的に)有益な結果を積み重ねるか
それに尽きる。
えらく窮屈な話だが、良い結果を求めるなら、良い結果を積み重ねるしかない。

失敗しても、失敗と言う結果による次の判断の結果良い方向に向かえば良い。
ということになるが、最近その難しさを感じている。
先述の、 やり直しが効かなくなってきている、というのもそれだ。

いや、やり直しが効かないのではなく、生まれてから今までに起こった、してきた
こと、あらゆる微細な結果の積み重ね=自身の現状が、現状の環境に於いて、
相対的に良い方向へと修復不能な水準になってしまっているのかも知れない。
そう言った、周辺環境との齟齬が生じ始めることが、所謂大人になる、
と言うことなのかも知れない。

それに気付いた今は一分一秒も無駄に出来ない!したくない!のだが、
そう簡単にいかないのも、今までの怠惰の累積の結果、なのかも知れない。笑

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昨日聴いてから耳から離れなくなってしまった。
公式ソースだと思うので安心してダウンロードされたし。
http://dl.dropbox.com/u/4285163/09%20Clouds%20Over%20The%20Pacific.mp3

同アーティストの。PVも面白い。


:)

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